旅行もゲームも「スポーツ」だ!もっと自由にスポーツを楽しめるようになる記事
フクロウナビ編集部
2024年の夏、テレビにかじりついてパリ五輪を観戦した人は多いと思う。スポーツは私たちにとってあまりにも身近な存在だ。だから、「スポーツとは体を動かしてタイムや得点を競うこと」という定義は至極当たり前に響く。でも実は、スポーツとはもっと多様で流動的な概念だ。今回は「スポーツとは何か」について考えさせられる記事を紹介しよう。
記事をおすすめした人
フクロウナビ編集部
日々さまざまな分野の研究成果や学術知に触れるフクロウナビ編集部員たちが、それぞれの興味や関心をもとにテーマを立てて、おすすめしたい記事を紹介します。
お伊勢参りは“耐久レース”だった
日本人は昔から、遠路はるばる伊勢神宮をめざして旅行していた。この「お伊勢参り」をスポーツ史の視点で研究しているのが、東洋大学の谷釜尋徳先生だ。
江戸時代、旅人たちの移動手段は歩行だった。彼らは1日平均35㎞(およそ東京-横浜間)を歩き、旅の往復総距離が2000㎞(およそ札幌-那覇間!)以上に達することもあったそうだ。当時の“トレッキングシューズ”にあたる草鞋(わらじ)は耐久性が低く、1日1足履き潰しながらの旅路だったとか。もはや“耐久レース”と呼べるほどのハードさだが、できるだけ多くの場所に立ち寄るべく往路と復路でルートを変えたり、道中食べたものや買ったものを日記に書き記したりと、なかなか楽しそうでもある。
記事では、中国大陸から受容した蹴鞠や打毬(だきゅう・ホッケー)をはじめ、日本では古くからボールゲームが楽しまれていたことも紹介されている。
谷釜先生が指摘するように「勝利を目指して真面目に競い合う」のがスポーツだ、という考えが今の日本社会では主流だ。しかし、歴史をひも解くと、私たちはもっと「楽しむこと」を大切にしながらスポーツをしてもいいのではないか、と考えさせられる。
eスポーツの興隆は19世紀イギリスと似ている
テレビやパソコンの前に座りっぱなしで画面をジッと見つめるコンピュータゲームは、さすがにスポーツと呼べないだろう……という“常識”に、神戸大学の秋元忍先生は異を唱える。
対戦型コンピュータゲームである「eスポーツ」は、日本ではまだ正式にスポーツだと位置付けられてはいない。しかし、中国では政府が公式にスポーツだと認定しているし、アメリカではNCAA(全米大学体育協会)にeスポーツの団体が加盟しており、eスポーツ選手に奨学金を出す大学もある。2023年にはアジア版オリンピックとも呼ばれるアジア競技大会において初めて正式種目として実施されるなど、人気は確実に高まっている。
「eスポーツはスポーツではない」という議論は確かにあるが、「何がスポーツなのか」という認識は時代や社会とともに常に変化していると秋元先生は語る。例えば、昔のイギリスにおけるスポーツとは「気晴らし」であって、狩猟や闘鶏、飲酒や祭事などと密接に結びついた「どんちゃん騒ぎ」だった。それが19世紀半ばになると、組織化された活動、統一したルール、管轄組織といった特徴のもと、サッカーやラグビーなどが競技として制度化されていく。
近代スポーツが編み出されていった19世紀イギリスの状況と、eスポーツがめざましい発展を遂げている現在の状況は似ていると秋元先生は指摘する。私たちは今、eスポーツという新しい波によって「スポーツ」の定義が書き換えられる瞬間に立ち会っているかもしれない。
「スポーツ」と「スポーツではないもの」の狭間で揺れる柔道
最後に「スポーツ」という概念の複雑さが特によくわかる、追手門学院大学の有山篤利先生による記事を紹介する。オリンピック競技としても定着している柔道だが、「柔道はスポーツではない」と聞いたら、驚く人は多いはずだ。
柔道が生まれたのは1882年。欧米文化が堰を切るように流入した明治初期、伝統的な武術が日本から消えてしまうことを危惧した嘉納治五郎師範により創始された。柔道は、日本古来の武術に西欧由来の近代スポーツの制度やルールを取り入れて、日本国内で普及していく。一方で柔道は、西欧発祥のスポーツとは異なる日本独自の「身体運動文化」として海外に発信された。しかし、スポーツの対抗馬であったはずの「柔道」は、次第にスポーツとしての「JUDO」へと姿を変えていく。柔道は生き残りをかけて、「スポーツ」と「スポーツではないもの」の狭間を行き来してきたのだ。私たちが今オリンピックで観戦しているのは「JUDO」だと指摘する有山先生は、21世紀の今こそ「柔道」への回帰が必要ではないかと問いかける。
戦後の学校教育において武術を禁止したGHQの政策や、柔道が初めて正式種目になった1964年の東京オリンピックなど、「柔道」を「JUDO」へと変容させた過程が詳しく知りたい人は、ぜひ記事を読んでみてほしい。
日本にはスポーツ嫌いの人も多いように思う。わざわざ汗水たらして自分を苦しめたくないという人、体育の授業がトラウマで運動を避けるようになってしまった人、日本人選手がメダルを逃して謝罪する姿に違和感を抱く人……。今回紹介した3本の記事が教えてくれるように、「スポーツとは何か」への答えは必ずしも一つではない。だから、私たちはもっと自由に「スポーツ」を解釈してもいいはずだ。スポーツは、私たちが人生をもっと楽しく生きるための手段であるべきなのだから。
※「キュレーション記事」は、フクロウナビで紹介されている各記事の内容をもとに書かれています。紹介する記事のなかには、記事が執筆されてから時間が経っているものもありますのでご注意ください