街そのものが“生きた教材”に? 散歩がぐっと楽しくなる記事

関根デッカオ/取材執筆業・散歩愛好家

散歩ほど、門戸の広い趣味はない。これといった目的もなく街に繰り出すことは、スポーツや音楽の演奏に比べて修練らしき修練を必要としない。とはいえ、そこに自分なりの視点や歴史や地理の知識が備わっているか否かは、散歩の「濃度」に大きく影響する。ちょっとしたコツさえ押さえておけば、街は生きた「コンテンツ」としての性格を帯びるようになる。よりストレートにいえば、街ははるかにおもしろくなる。つまるところ、散歩は単なる健康増進の手段以上の可能性を秘めた営みだ。今回は、大阪を主なフィールドに散歩から多くを学ぶ筆者が4つの記事を紹介しながら、街をより深く楽しむための手立てを探っていきたい。

記事をおすすめした人

関根デッカオ

1989年、和歌山市生まれ。よそのロン毛が怖いロン毛。大阪は野田・西九条界隈を拠点に散歩と飲酒を両立させ、街の重箱の隅をつつくことをライフワークとしている。その風貌や行動パターンに反して、職務質問を受けたことがないのが自慢。取材や執筆、編集においても実は手堅い手腕を発揮する。

路上にツッコミどころを探し、記録すれば散歩はその意味を増す

「街歩き」という言葉がその存在感を増してずいぶんが経つ。2008年に放映が開始されたNHK『ブラタモリ』の功績も少なくないだろうが、その10年あまり前からゼミ生らを率いて街歩きを続けているのが、関西大学で都市社会学や大衆社会史を論じる永井良和先生だ。永井ゼミの街歩きは、あくまで課外活動。時間と場所だけを決めて街を無目的に歩き回り、そこで見つけた「成果物」を報告し合う。

本記事では、日常で目にするものから社会を考える考現学の始祖・今和次郎にも触れながら、街歩きを楽しむポイントを紹介。永井先生は「細部にこだわる」「立ち止まって振り返る」「発見を人に伝えてみる」の3つを挙げている。街を重箱の隅をつつくように観察し、違和感を覚えればすぐに引き返し、そこで撮影した写真を人に見せておもしろがる――「散歩愛好家」を名乗る筆者の普段の行動様式も、それらにぴたりと符合する。記事中にある駅そばの看板に添えられた写真がうどんといった「ツッコミどころ」は、まさに大好物だ。

併せて永井先生は明治から昭和を生きた今が、街の風俗や住まいを詳細にスケッチしたように、記録に残すことの大切さも強調。写真や日記といった記録は、時間経過とともに街や社会がどう移ろってきたかを知る資料になりうるからだ。散歩、ひいては街歩きは生涯付き合える娯楽でありつつ、名もない「歴史」を後世に引き継ぐ試みともいえるのである。

長屋という往時の“最新鋭の都市景観”に、大大阪時代を感じよう

大阪には長屋が多く残されている。何を隠そう、筆者も大阪の長屋に住まう者の1人だ。長屋に暮らして感じるのは、近隣との間につかず離れずのコミュニティが成立しているということ。町内会に加入しているのはもちろんのこと、どこかから仏壇のおりんの音が漏れ聞こえ、井戸端会議の声で目を覚ますことも少なくない。本記事にある「マンションはエントランスを介して町にアクセスしますが、長屋の場合は自分の家から一歩外に出るとすぐに町」との記述が、実感として立ち上がってくる。

一方で古くからの長屋が建ち並ぶ光景は、散歩の「質」を高めてくれる大切な要素でもある。大阪公立大学の小池志保子先生は、豊崎長屋(大阪市北区)、須栄広長屋(大阪市生野区)などを例に、大阪長屋にはそれぞれに個性豊かな意匠性があることを指摘する。これらは急速に近代化が進んだ約100年前の大大阪時代、オーナーや大工の棟梁が新しい都市にふさわしい住居をつくろうと意気込んだ成果とのこと。古い街並みだと看過することなく、路地に残された往時の熱量を感じながら歩くのも一興だろう。

小池先生は、長屋を一般の人に公開するイベント・オープンナガヤ大阪の実行委員も務めている。その活動の結果、複数の長屋が国の登録有形文化財に指定されたほか、若い世代が飲食店やオフィスとして利用するケースも増えているという。戦火を逃れた長屋も、人に使われないことには先々に残すことは難しい。歩く価値のある景観を将来につないでいくうえでも、今後の前向きな展開に期待したい。

街づくりの過程から見過ごされる“当事者性”という視点を問う

「都市の富裕化」「都市の高級化」などと訳されるジェントリフィケーションという概念。先の大阪・関西万博、東京オリンピックのようなメガイベントのたびに、新しい公園ができたり、都市空間の整備が行われたりと、街は新陳代謝を繰り返してきた。一見するとよいことのように思われるが、その流れは弱者やマイノリティの視点を欠いているのではと指摘するのは、神戸大学の原口剛先生だ。ジェントリフィケーションの一番の問題は、もともと住んでいた人が都市から締め出されることにあると、原口先生は語る。

大阪では、かつて野宿者や労働者を集める「青空カラオケ」が営業していた天王寺公園が、商業施設を擁する「てんしば」として再整備された。日雇い労働者の街として知られる西成区の釜ヶ崎地区にも行政の手が入り、いまではバックパッカーの街という色合いを持つようになった。こうした「浄化」を歓迎する向きがあるのも事実だが、そこに暮らしていた人の意見が取り入れられたかといえば、確かに疑問符が残る。

個人的な実感からすれば、ジェントリフィケーションの対象とされる街は、大前提として個人からメディアレベルまで「ディープ」という単語で短絡化されるきらいがあるような気がする。やはりここにも当事者性は欠落していて、あちらとこちらを線引きするような、ある種のオリエンタリズムが感じられてならない。ディープなる評価を下すのは、あくまでも第三者だと思う。だからこそ、自分はそうした街を歩くにしても物見遊山的な態度で臨んではならないと決めている。「貧民街と高級住宅地は自然と分かれるわけではなく、権力や資本主義がつくり出す」という原口先生の言葉は重い。

フィールドに足を運ぶことでのみ可視化される“生きるスタイル”

先に紹介した今和次郎とも交流を持ったのが、民俗学の大家である柳田國男だ。今の故郷である青森県弘前市の弘前大学で、柳田が体系化した民俗学を教えるのは山田嚴子先生。柳田の先進性を「生きるスタイル」「同時代の日常の話」に光を当て、フィールドワークを重視した点に見出す。これは今の考現学にも通ずる研究態度といえるだろう。青森の伝承や信仰について研究する先生自身も、生活者の感覚に寄り添うことに重きを置いているそうだ。

「学」という言葉がつくと、何やら高尚な営みのように思えてしまうものだが、こうした文脈に照らしてみれば散歩や街歩きといった行動も民俗学や考現学と地続きのように感じられてくる。大学院生だった当時、柳田の弟子である民俗学者のもとで「ひたすらあちこちをガシガシ歩いてましたね」と語る山田先生の話からは、自らの足を動かすことでしか得られない学びがあることが伝わってくる。

住宅の軒先を彩るミニマムな園芸、あるいは役割を終えてもなお電柱に残る広告――意識していなければ何気なく見過ごしてしまいそうな光景にも、必ず背後関係や個々人の生きるスタイルがある。それが一足飛びに民俗学には結びつかないとしても、民俗学的な視点に触れていればこそ見えてくる街の一面があるような気にさせられた。

街をコンテンツに変えられるかは、そこで展開される物事にどのような視線を注げるかによる。ここまで紹介してきた4つの記事は、私たちの日常をより深い理解をもって受け入れるうえで、大きな示唆を与えてくれるものだろう。ただ、歩くだけではもったいない。日々の散歩にちょっとした発見が加われば、人生はいくらか豊かなものになるはずだから。

※「キュレーション記事」は、フクロウナビで紹介されている各記事の内容をもとに書かれています。紹介する記事のなかには、記事が執筆されてから時間が経っているものもありますのでご注意ください

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