短歌からラップまで、さまざまな「詩」の世界にふれられる記事
フクロウナビ編集部
2024年11月、現代詩の大家、谷川俊太郎さんが逝去された。この機会にあらためて「詩」について考えてみたい。日本には俳句や短歌、川柳など、長い歴史を持つ詩の文化があるが、詩の世界はそれだけにとどまらない。「形式」ではなく、言葉と人とのあいだで生まれる「心の動き」として捉えれば、ふとつぶやいた一言や映画のセリフ、ラップのリリック、SNSで見かけた短い投稿も、当人にとっての「詩」となるだろう。多彩な詩の「今」と「昔」、そして詩を感じる心のしくみにふれられる記事を紹介する。
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フクロウナビ編集部
日々さまざまな分野の研究成果や学術知に触れるフクロウナビ編集部員たちが、それぞれの興味や関心をもとにテーマを立てて、おすすめしたい記事を紹介します。
「共感」がキーワード、SNSと短歌
若手作家が次々デビューし、ブームを生む現代短歌。Z世代(1990年代後半から2000年代初頭生まれ)の間でとくに盛り上がりをみせているのはなぜだろうか。東洋大学文学部日本文学文化学科の高柳祐子准教授は、「いいね」の共感感覚がその鍵だという。限られた字数で、自分の思いや感情を的確に表現できる短歌の形は、SNS文化にぴったり合致。「いいね!」の共感の交わしあいが、おなじく多様な共感が魅力となる現代短歌と結びついたのではないかと語る。短歌創作に挑戦したい人へのメッセージも。
AIの詩と人間の詩は何がちがう? 「感動」のしくみを探る
そもそも、短歌に限らず私たちが「感動」するのはなぜだろうか? 京都大学教育学研究科の櫃割仁平さんが取り組むのは、心理学のアプローチからの「感動」の研究。櫃割さんは、自身の感動体験をきっかけに、芸術、とくに俳句における感動の個人差をリサーチ。実験心理学を用いて、俳句が引き起こす美しさの感じ方に違いがあることを明らかにした。さらに、AIが作成した俳句と人間のつくった俳句を比較してAIの創造性に注目するほか、感動や美について脳科学的アプローチから解明しようとする。美とは何か、感動とは何か、あらためて考えたくなる記事になっている。
古代日本人の死生観と「挽歌」
感動をはじめとした人間の心の営みに関わる「詩」。その中でも「挽歌」は、死を悼むための大切な詩形だ。古代日本の文学や死生観を、『万葉集』の「挽歌」をとおして研究しているのが東京都立大学 人文社会学部人文学科の高桑枝実子准教授。挽歌は当時の呪術的な信仰と関係があり、死者の魂のゆくえなど当時の死生観が反映されていると指摘している。挽歌から、古代日本人が死をどう捉え、どう表現していたのか、ひもといていく。
社会を変革する詩、抵抗と葛藤をつむぐラップの力
人間の営みに密接な「詩」は、古代も現代も変わらない。現代の「詩」であるラップは、生活や社会に向けての抵抗や葛藤、そして誇りを等身大の言葉でつむぐ「詩」的行為だ。アラブ文学・文化論が専門の慶應義塾大学 総合政策学部の山本薫准教授は、パレスチナのラッパーと交流しながら、パレスチナ・ラップを通じて中東の社会問題を研究している。日本にいる私たち、詩の「聞き手・受け手」の在り方をも問いかけてくる今まさに必読の記事だ。
個人と世界をつなげる現代短歌やラップ、そして時代を超え死者とのつながりを結びなおす挽歌まで、人間の営みに密接にかかわってきた「詩」。ノーベル賞を受賞した世界的詩人、オクタビオ・パスは「詩」の特徴として「参加」を挙げる。
実に、詩とは可能性であり、読者あるいは聞き手との接触によってはじめて活性化する何ものか以外ではない。あらゆる詩には、それ無しでは決してポエジーとなりえない共通の特徴ーー参加ーーがある。読者が真に詩を体験しなおすたびに、彼は詩的と呼びうる状態に達するのである。
(『弓と竪琴』オクタビオ・パス)
この「参加」こそが、詩の本質ではないだろうか。最後のパレスチナ・ラップの記事は、その重要性を痛切に突きつける。私たちの日常に根ざす「詩」について、多彩な記事にふれながら考えてみてほしい。
※「キュレーション記事」は、フクロウナビで紹介されている各記事の内容をもとに書かれています。紹介する記事のなかには、記事が執筆されてから時間が経っているものもありますのでご注意ください